1月7日
TVK『Fighting 80’s』に初出演。テレビ神奈川系列のロック専門の音楽番組『Fighting 80’s』にレギュラー出演開始。この番組に出演する事によって東京は元より地方での知名度が急速に上がっていった。
2月5日
新宿LOFTにて東京での初のワンマンライブ、満員となる。その後、新宿LOFTと目黒の鹿鳴館でライブを継続し確実に動員をアップさせていく。
4月
CBS/UKと契約。ロンドンに渡りレコーディング。
5月13~16日
2度目の来日公演を行うTHE JAMのオープニングアクトをつとめる。大阪のライブではTHE JAMを凌ぐほどの盛り上がりにTHE JAMのスタッフに電源を切られるというアクシデントも起こる。
6月12日
目黒鹿鳴館でのライブで最高動員記録を樹立。
6月21日
アルバム『FIGHT OR FLIGHT』シングル『崩れ落ちる前に』でEPIC SONYからデビュー。
6月22日~8月10日
『COUNTER ACTION GIG』を行う。これが初めての全国ツアーとなる。
8月
ツアー終了後、伊豆のキティスタジオにて早くもセカンドアルバムのレコーディングに入る。
9月15日
虎ノ門・久保講堂にて初のホールワンマンコンサートを敢行。今は無きこのホールでのコンサートは立ち見が出るほどの満員で、盛り上がりもこれまでの最高潮に達した。
10月21日
早くもセカンドアルバム『NEWS BEAT』シングル『ゴキゲンRADIO』が発売される。
10月~1982年2月
2度目の全国ツアー『NEWS BEAT GIG』を行う。目黒鹿鳴館3DAYSから始まったこのツアーはアルバム未収録曲のソノシートを会場で配布するなど当時から一歩時代の先を行くアイデアを取り入れていた。
11月
『NEWS BEAT GIG』の間にロンドンに渡り、ロックの殿堂『マーキー』にて3日間のライブを行う。最終日には噂が伝わり満員となりプロモーターが何社か名乗りを上げるまでになる。
3月17~20日
新宿のACBホールにて『BEAT PARADE GIG』がAUTOMODをゲストに開催されたが、初日で中止となる。4Fにあるホールの床が満員の客のタテノリに揺れ、下の階からの苦情が殺到した為、後日目黒鹿鳴館に会場を移し行われた。
6月20日
デビュー1周年記念コンサートを日比谷野外音楽堂にて開催。 改装前の野音に4,000人が集まった。スタートして2曲目、ストッパー用の鉄柵が折れ中断、取り払われた後、中盤に大粒の大雨が降りだし、やがてそれは集中豪雨となった。ステージの上のTHE MODSのプレイは激しくなり、誰一人帰ろうとしない4,000人の観客と共に今や伝説とも呼ばれるライブを成し遂げたのだった。
7月~8月
一風堂の土屋昌巳をサウンドプロデューサーに迎え3rdアルバムのレコーディング。
8月8日
レコーディング中にもかかわらず、長崎を襲った豪雨の救済コンサートを地元・福岡国際センターにて行う。約2,500人が集まり、120万円の義援金を被災地に送る。
9月21日
3rdアルバム『LOOK OUT』シングル『LET’S GO GARAGE』発売
クリアで深くなったサウンドが話題を呼ぶ。
10月10日
『B-29 TOUR』渋谷公会堂。発売初日でSOLD OUT。(当時はまだチケットぴあは無かった。)
この日を皮切りに翌1983年1月までに全国22カ所を回る。またステージの演出で初めてフィルムを使い、ゲストにクラッシュファミリーのパール・ハーバーを迎え「フジヤマ・ママ」など数曲をセッションした。
10月11日
渋公のプレゼントギグ『チャレンジ・ギグ』を渋谷パルコパート3イベントスペースで行う。
2月
THE MODSと一風堂を中心とするプロジェクト“FILE”を設立。THE MODS、一風堂、パール・ハーバー、マイキー・ドレッドのアルバムが発売される。THE MODSは再びロンドンに渡りレコーディング。
4月21日
ミニアルバム『GANG ROCKER』発売
A面はロンドンレコーディングの新曲3曲、B面は1981年11月のマーキーでのライブ音源を2曲収録。
4月〜6月
函館市民会館を皮切りに『FILE TOUR』開始。全国15カ所、前出のFILE PROJECTによる日本初のワールドワイドなコンサートツアー。THE MODSにとっても初めての大規模なツアーになる。小学館の『写楽』がバックアップし、1日目が一風堂、2日目がTHE MODSという2日続きでホールをキープし、それぞれに海外のアーティストが入った。THE MODSのサポートにクラッシュ・ファミリーのパール・ハーバー&チューダース+ナイジェルをロンドンより迎える。
7月31日
大阪南港フェリーターミナル前広場にて開かれた『ジャム・ジャム・ロック・フェスティバル』に出演。(W/LOUDNESS、ARB)
9月21日
シングル『激しい雨が』発売
このシングルはマクセル・カセットのコマーシャルに起用され、初めて15秒と30秒のロックバンドのビジュアルがお茶の間に流れ、話題を呼ぶ。このシングルはヒットチャートの上位にランキングされる。
10月1日
JICC出版局宝島編集部よりムック本『LET IT ROCK』発売
10月〜12月
中野サンプラザホールを皮切りに『GANG TOUR』開始。12月26日の秋田まで全国32ヶ所を回る。このツアーはTHE MODSのヒストリーの中、各地で最も過激な盛り上がりを見せる。中野サンプラザのコンサートの模様はFM東京系列で全国に中継される。
11月21日
アルバム『HANDS UP』発売
ヒットチャートの上位にランキングされ、ゴールドディスクを獲得する。
12月1日
ビデオ『THIS IS THE GANG ROCKER 1981~1983』発売
12月17日
後楽園球場内・特設テントにて『GANG TOUR SPECIAL”HANDS UP”』開催。
動員5,500名。GANG TOURのスペシャル版として行われたこのライブはスペースの半分をスタンディングにし、このツアー最高の盛り上がりを見せTHE MODSのライブバンドとしての存在を確立した。
2月1日
シングル『バラッドをお前に』発売
2月3日よりオンエアされたTBSドラマの『中卒東大一直線~もう高校はいらない』(出演:坂上忍、菅原文太ほか)のエンディングテーマに起用されてヒットチャートの上位にランキングされた。メンバーも一話出演する。
2月~4月
FILE TOURで共演したパール・ハーバーのレコーディングに参加、ロンドン郊外のスタジオに滞在。
4月16日
フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に出演。日本人アーティストとしての初の衛星中継をロンドンより行う。
5月4日
目黒鹿鳴館にて久々のシークレット・ギグを行う。
6月21日
ライブアルバム『JAIL GUNS』発売
これまでのベストライブテイク9曲(30インチ、33回転)と新曲3曲(ロンドン・レコーディング、30インチ、45回転)の変則的2枚組アルバム。またビデオ『HANDS UP(I Crowns)』が同日に発売された。
6月〜1985年3月
函館市民会館を皮切りに『AROUND JAPAN 100-P TOUR』開始。1985年3月16日の四日市市民文化ホールまでの長期に及ぶツアーとなる。まさに日本中を細かく回った。
7月28日
大阪南港フェリーターミナル前広場にて開かれた『ジャム・ジャム・ロック・フェス』に出演。トリを務める。(W/ARB、浜田麻里、EARTHSHAKER、SHEENA & THE ROKKETS、他)
12月18日
渋谷公会堂でのコンサートで予定外のアンコールを行い、帰りかけていた客がステージ前に殺到しパニックとなる。
5月3日
「WE ARE THE MODS ’85」横浜市文化体育館
5月11日
「WE ARE THE MODS ’85」大阪城野外音楽堂
ものものしい警備の中でコンサートは進められ、アンコールの「TWO PUNKS」でガードは崩れステージ前に客が殺到する。
5月22日
シングル『夜のハイウェイ』発売
6月
初の主演映画『夜のハイウェイ』クランクイン。
6月中旬
映画の撮影中にもかかわらず、森山達也がソロアルバムのレコーディングの為、単身ニューヨークへ向かう。
7月上旬
初の主演映画『夜のハイウェイ』クランクアップ。
7月25日
アルバム『BLUE』発売
よりポップ色を強く打ち出した作品となる。このアルバムによって新たなファン層を獲得。
同日、森山達也初のソロシングル『Love,かくし色』発売。
7月26日~9月9日
全国300ヶ所で映画『夜のハイウェイ』が上映される。
8月
森山達也の初のソロシングル『Love,かくし色』がカネボウ秋のキャンペーンソングに起用される。作詞:麻生圭子 作曲:森山達也。この曲はTHE MODSとは違った森山のボーカリストとしての幅の広さを証明する作品となる。
9月21日
CBS・ソニー出版より『森山達也ストーリー Ichizu』発売
10月21日
森山達也ソロシングル『JUST MY LADY』発売
スズキアルトのCMソングに起用され、全国でオンエア。
11月1日
森山達也ソロアルバム『JUST A PRETENDER』発売
11月1日
映画『夜のハイウェイ』発売
11月21日
シングル『BABY BLUE』発売
12月
テレビ東京『ニューエイジ・ミュージック』に出演。